反宗教運動
反宗教運動
IRS(国税庁)がサイエントロジーを承認した事は、何十年もの間教会を攻撃し続けていた者にとって驚くべき打撃でした。
この事と、同様に何年もの間、偽りの情報を流し続けてきた世界規模のキャンペーンが終わったにもかかわらず、これらの活動を何年にもわたって裏から焚き付けていた精神医学は、別の側面から攻撃を続けていました。
ひとつの攻撃は、いわゆる「反カルト」と呼ばれる団体から向けられました。
長い間、精神科医は合衆国とヨーロッパのサイエントロジーを含むいくつもの教会を攻撃するために、さまざまな反宗教活動組織を使っていました。
その中で最も悪名高い団体がCANとして知られる「カルト・アウェアネス・ネットワーク(カルト警戒網)」でした。
CANは、合衆国で誤った、そして、偏った情報を流す大元締めで、サイエントロジーやその他の新旧の教会に対する偏見、憎悪、恐怖をかき立てていました。
疑うことを知らない人々を餌食にして金銭的報酬の為に、罪のない人々との民権を侵害していた団体でした。
そのメンバーは常に、誘拐、暴行、レイプ事件と関わっていました。
教会は、この団体の真の姿を国中の警視庁、裁判官、検察官、宗教および慈善組織に知らせる為、全国に渡って情報提供キャンペーンを実施しました。
そしてその結果、人々のCANに対する高まった憤りと非難が、逆にCANへの非難となりました。
1996年にCANはシアトルの地方裁判所に言い渡された110万ドルの評決から逃れられず、破産宣告をし、強制的に解散させられました。
この評決は、CANの「ディプログラマー(強制改宗者)」がクリスチャンの若い青年を誘拐し、暴行を加えた事件に下されました。
日本脱カルト協会
日本脱カルト協会(JDCC)は精神科医とその他、反宗教者たちによって設立されました。
その代表理事には精神科医である故・高橋紳吾が就任していました。
高橋氏は強制改宗について知っており、合衆国におけるカルト警戒網の状態についても知っていながら、自身のJDCC会報第1号の中で「日本にもCANのような組織が必要であるということを主張し、CANの構想を持ち出したのがきっかけで、このたび諸先輩をさしおいて、私がJDCCの代表者になってしまった」と述べています。
高橋紳吾
高橋氏は、ハイデルベルグ大学に留学したことがあります。
この大学はナチス・ドイツの安楽死計画[T4]作戦との関わりにおいて有名なだけでなく、当然のことのように、多くの宗教を批判する人物を育てた大学としても知られています。
その中の一人が高橋紳吾氏です。高橋氏はハイデルベルグ大学への留学を終えた後、東京医科歯科大学で精神科医として医療実践を行っています。
そして、高橋氏は犯罪学の分野にも足を踏み入れたわけですが、それもまた彼の師匠である故・吉益脩夫氏(精神鑑定の開発者として知られる、ナチス・ドイツで研究した優生学者)と同じであり、他の様々な宗教を批判している多くの人物たちと同様です。
ちなみに、吉益氏や、他の悪名高い精神科医たちの弟子の何人かはまた、科学警察研究所へも入り込みました。
こういった人物たちの、人間に関する理論の基本的教義は著しく歪曲されており、伝統的背景はかなり非人道的なものです。
一体、それが警察にどのように役に立つというのでしょうか?
このような精神科医たちの多く、またその教え子たち(高橋氏のような)は同様に、マインド・コントロール理論家として、有名なメディアを通して知られるようになりました。
彼らは自分たちのイメージを利用し、カルトのイメージについてメディアに便乗し、騒ぎだしたのです。
この研究会には他にも精神科医、弁護士そしてメディアの人々が参加しています。
しかし、そのような中で高橋紳吾氏は過ちを犯しました。
2003年の4月にテレビのワイドショー番組内で名古屋通り魔事件が取り上げられ、未だ逮捕されていない犯人像を問われ時「恐らく20代に発病している統合失調症の可能性がある」などと発言しました。
障害者団体はこれに対して、「犯人を『統合失調症』と診断されている人たちと決め付けた」「差別を助長させ、偏見を与える」などと抗議。
高橋氏は、「統合失調症」とまるで精神障害の診断を受けた人が犯人であるかのように差別発言をしたのです。
これによりその後、彼は一切メディアから姿を消しました。
1959年に東京医科歯科大学に犯罪心理学研究教室を創始したのは、東京大学の脳研究所の教授であった吉益脩夫氏ですが、彼は1945年に東京大学医学部を卒業した、中田修氏を助教授として迎え入れました。
中田助教授の書き残したものの中に、こういったくだりがあります。
「1920年から1930年にかけて、ナチスの犯罪生体学の黄金時代がドイツやオーストリアに到来した。
この分野でとくに華々しい活躍を示したのが、精神医学者である」中田修助教授はまた、科学警察研究所のメンバーでもありました。
中田助教授が、現在宗教を批判しているマインド・コントロールの提唱者を教えていたことは、僅かながらも衝撃的です。
もう一人の悪名高い精神科医、武村信義氏は、東京大学の脳研究所所属の精神科医の一人であり、この精神科医たちは1982年に宇都宮精神病院において、人間の脳を集め、研究材料にしたことが暴露されました。
武村氏はその大学の助教授でした。その研究材料となった脳は、精神病院で死亡した患者たちのものだったのです。